日記的塵箱

本の紹介、雑談、エッセイを通して自分の文章力向上を目指し、今後書く小説の基盤としようと思っている早大生です。

もっとちゃんと読もうぜ

 大学の講義で井伏鱒二の『鯉』という作品を読んで感じたことを自由に語り合うというものがあった。

 大学に入った感じたこと、それは自分の読解力、表現力の欠如である。自由に読むという事が読書(特に小説)の大切さだというのは勿論わかっている。私が恐れているのはそれを盾にして正確な読解という作業から逃げる事だ。

 〜私は素敵な彼を待っている…〜 という文の意味を考えるとき、この分だけではあまりにも情報が不足していると感じる人が大半だ。私って誰だろう、素敵って主にどのあたりが、彼とはどんな関係、など様々な疑問があって然るべきだ。これらの疑問が本文を読んでも解消されない、もしくは他にも考察の余地があるときに初めて自分なりの考え方が生まれるのである。

 必要なのは、まず情報を集め客観的に分析し、最後に自分なりの考察を加えていくのだ。全ての過程を飛ばして自分の考察だけを述べるのはあまりにも愚かに思える。

 

 自分(と一部の他人)への戒めである。