日記的塵箱

本の紹介、雑談、エッセイを通して自分の文章力向上を目指し、今後書く小説の基盤としようと思っている早大生です。

語彙力は必要?

語彙力は必要かどうかについて少し話しますが、あくまでも自論なので悪しからず。

 

私の考えでは、語彙力はあるに越した事は無いが、必須では無いです。

 

あまりにも普通な答えですね。

 

しかし、中立的な立場をとって敵を作りたく無いがためにこの様な中途半端な結論を出した訳ではありません。

 

まず、語彙力には二種類あると私は考えます。

 

一つに発信する際の語彙力、二つに受信する際の語彙力です。

 

発信する際の語彙力とは、読んで字の如くです。

 

自分が何かを伝えたい時、中々言葉に表現しづらい微妙なニュアンスを含んだ事柄が多々あると思います。

 

「これはね、何というか、あれだよ、あれ、何て言うんだっけ、あれ…」と側からみたら宇宙人の会話みたいになってしまった経験は少なからずあるでしょう。

 

原因は主に二つありまして、一つ目は単純に知識が不足していて理解できていないから喋れないこと、二つ目はなんとなく理解しているが、それをうまく伝えるのに適切な表現、語彙が見つからないことです。

 

前者は勉強不足なので勉強しろとしか言えませんが、後者は困ったものです。

 

何故なら、どんなにその分野に精通している人でもうまく表現出来なければ他者から評価されませんので。

 

逆にそこまで詳しい情報を持ち合わせていなくても伝え方の工夫で何とか誤魔化す(オススメはしません)ことも出来ますし、実際そういう人も沢山います。

 

例)ゲゲゲの鬼太郎の紹介で、個性豊かな魑魅魍魎達が織りなすダークファンタジーと書けば中々通(もしくは唯の格好付け)に思われるでしょう。

 

上のは極端な例ですが、何にせよ表現、語彙力の幅が広がることで、より円滑なコミュニケーションが可能になると思います。

 

とは言え、わざわざ難しい言葉を無理に使う必要はないので、発信する際の語彙力はそこまで豊富でなくても不自由はしにくいのかなとは思いますし、むしろ発信するのが上手な人ほど簡単な言葉を選んで分かりやすく伝えていると思います。

 

そう考えると今の自分はまだ難しい言葉を使って知識でマウントを取りたがる幼稚な人間に思えなくも無いですが、自分はこのスタイルが好きなので貫き通します。

 

本筋からずれている様な気がしますが、この話が逸脱したり、膨らんでいったりする感じもまた面白いとは思いますし、それを楽しんでいただければ幸いです(何せこれはあくまでブログですので)。

 

次に受信の際の語彙力について。

 

こちらの方が発信する際より求められる語彙力は高水準になると思います。

 

実際レベルの高い本を読めば読むほど難語が出てくる事は増えてきますし、作家が作品の雰囲気を作り、損なわない様にするために洒落た表現をする事もしばしばあります。

 

世界の名作文学を読みたいが中々読み進められない人の大半は語彙力が不足しているからだと思います。

 

分からない言葉が沢山あるが、調べるのが面倒臭いので(すぐに調べる習慣は大切です)読み進めるが、途中でさっぱり分からなくなって惰性で読むようになってしまい、どこかでギブアップ。

 

勿論どんなに語彙に自信がある人でも分からない言葉は少なからずあります(料理名や地名などの固有名詞は特に)が、それが少ないに越した事はありませんし、言葉の詳細な意味や、類義語でも、それぞれどういう時に使われるかといった微妙な違いを詳しく知っていると、知らない時よりも一段と深く作品に没頭できます。

 

今説明したのは本当にほんの一部に過ぎません。

 

また、実際にある程度語彙力がついた人にしか分からない特典的なものも沢山あります(それはまた後日)。

 

長くなりましたが、要するに私が言いたい事は、騙されたと思って語彙を増やしてみて欲しいということだけです。

 

語彙力の付け方はまた後日詳しく提案させてもらいますが、今はスマホがあるので、それですぐに調べられますし、辞書を引くより何倍も早いです。

 

ではまた。