慶文小論文『異邦人』
カミュという人物が残した、不条理をテーマに社会に波紋を投げかける事となった名著である『異邦人』。
聞いた事はあるが、読んだ事は無いという人も多いでしょうが、今回はその作品についての紹介は殆どしません。
私よりも簡潔で分かりやすい説明をする人はいくらでもいますし、そこで勝負しても勝ち目のない事は明らかです。
では何をするかと言うと、少し読んでいて思い出したことがあったので、それを適当に話そうと思います。
とりあえず皆さんには異邦人の問題児?的なイメージを何と無く掴んでいただければ結構です。
私は慶應義塾大学を受験したことがある(落ちましたが笑)のですが、そこの文学部の過去問で、ある年に異邦人をテーマにした小論文の試験が課されたのです。
問が2つで時間が90分の試験でした。
問1で課題文全体の要約、問2で異邦人という存在について、本文に即した上で自分の意見を述べるというようなものでした。
私はこの問題(特に問2)が好きで、3〜4回くらいは添削してもらった記憶があります。
問2の主な解答方法は、身近にいた異邦人の例を取り上げて、それについて自分なりに考察し、異邦人とは何かを自分なりに捉え直すという方法です。
慶應文学部の小論文はやったことがある人ならわかると思いますが、本文読解に重点が置かれていて、問1は言わずもがな本文が読めていなければ要約はできませんし、問2でも、本文で異邦人がどのように取り上げられているかを明確にして、それに対して自分の意見はどうなのか(筆者に賛成か反対か)を述べると言うものです。
しかし、今回したいのはその話ではないので、早速話を変えて、本題に移りましょう。
人々はいつも、誰しもが無意識に自分の行動に世間での常識という制限をかけて生きているのだと思います。
人々は、自分の頭では理解できない行動、普通はありえない行動を取った人を異常な人、つまり異邦人扱いします。
例えば、宗教を熱心に信仰する集団は、宗教を全く信じない人を異邦人扱いするのです。
自分達の常識に合わないものを排除し、同じ考えを持った人々で集団を作り、秩序を保ってきました。
しかし、そんな中で、現状に疑問を抱く人は勿論何回も現れます。
でも、世間の常識から外れ、異邦人扱いされるのを恐れたために、そういう人も普通と呼ばれる人々のグループに自分を押し込んで生きてきました。
ところがある日、その枠組みから思いっきり外れる人が現れ、現状の問題や、不満を吹聴して回ります。
そこで多くの人が、その人を何とか常識に押し込むか、もしくは排除しようとします。
ですが、その中で、異邦人扱いされた彼に心を動かされる人が現れることもあります。
その人達が増えることで、今までの常識が別の常識に変わる、いわばパラダイムシフト的な現象が起こるのです。
そして、昔から今に至るまで、人類は大小様々なパラダイムシフトを多数経験してきました。
その事から私は異邦人とは、確かに問題を抱えた存在である一方で、社会を大きく変えるという役割も果たしており、居たら困る一方で、居なくてはならない存在でもあると考えました。
これには具体例が殆どないため、小論文に書けるようなものではありませんが、私が純粋に感じたことを書かせてもらえました。
途中途中文章の歯切れが悪く、読んでいてあまり気持ちが良いものでは無かったと思いますが、私の考えが何と無くでも伝わったのならそれで十分です。
あなたは自分の常識に合わない人を異邦人として排除するか、相手の考えを理解しようとして、一度自分の常識を疑ってみるか、どちらでしょうか。
大事なのは対話することだと思います、ステレオタイプに縛られることのない柔軟な人間に私は憧れます。
ではまた。