化け物
雷雨に見舞われながら彼は一人俯き歩いていた。
かつての思い出は煙の様に、未来への展望は霞の様に不明瞭に蹲っていた。
彼の周囲に佇む沈黙、何者をも寄せ付けぬ気を纏いながら宵はただ明けるのみの筈だった。
ふとあの遠くの屋敷のバルコニーに彼女の姿が見えた。
不安だろう、心配だろう、悲しいだろう。
彼女が密かに探し求めているのは今彼女を見つめている彼自身であり彼自身で無い。
恒久の平和への希望はまやかしに過ぎず、永遠の愛など安物の張りぼての様な物だ。
酷く激しかった雷雨は今では古池の水面の様である。
雲の合間から差し込む月光。
それが彼の眼に入り彼は痙攣した。
幸い泥の様な覚悟を固める時間は充分にあった。
これから先のことは彼に任せよう。
そう思うや否や痙攣は全身に渡り、徐々に身体を蝕んでいった。
微かな火種は山火事へ、全生命を焼き殺した。
轟轟と響く唸り声に地が共鳴し、天変地異の再来を彷彿とさせる怒りが細胞一つ一つから湧き上がる。
でもどうしようもない。
暫くして彼は大人しくなった。
でももう彼は彼じゃない。
神羅万象を睥睨する眼、鋭利な鼻、メスの様な牙、錐の様な爪、しなやかな身体、そして全身に敷き詰められた獣毛。
疑いようのない。
彼は化け物になっていたのだ。